みなさまはかつて放映されていたマネーの虎というテレビ番組をご存じでしょうか?
『¥マネーの虎』は、2001年10月から2004年3月まで日本テレビで放送されたリアリティ番組。 一般人起業家が事業計画をプレゼンテーションし、投資家たる審査員が出資の可否を決定するという内容だった。 後に『Dragon’s Den』などのタイトルで番組フォーマットが輸出され、世界各国で制作された。
Wikipediaより
早い話が、社長5人の前で事業のプレゼンをして、必要な軍資金を投資してもらおうという趣旨の番組です。
しかしながら、この社長達がかなり厳しく、そして辛辣であり、事業の内容や人格などを罵倒されて泣き出す志願者も出るほど。
テレビ番組らしからぬ緊張感と、クセの強い志願者、社長(番組内では虎と呼称される)の面々など見どころが多く、今なおその存在が語り継がれています。
そんな中、ある回の放送にて、今回の記事のタイトルにもある懐永諭矢(かいえい さとし)という人物が志願者として現れます。

革ジャンにサングラスというTPOを無視した衝撃的な出で立ちでの登場に、視聴者はおろか出演者たちもド肝を抜かれました。
出資希望金額はなんと1884万円。過去の志願者と比較してもかなり高額な部類です。
司会である吉田栄作氏の「その使い道は?」という質問に、「ビッグになる為に武道館でデビューライブを開きたい」というロック過ぎる回答を投げつけます。

いやそれ事業じゃねーし!と視聴者からの心のツッコミが入ったかどうかさておき、社長との質疑の中で徐々に懐永諭矢氏のロック過ぎる生い立ちが明るみになっていきます。
生い立ち
まず、懐永諭矢氏は高等学校に入学後、一か月で退学するというロックな進路を選択します。
その後、サッカーが得意だった懐永氏はブラジルに単身渡伯。
すぐさま現地のサッカーチームに入団し、3日でプロの座を獲得します。
しかしながら、かねてより足に不調を抱え試合を続けていた懐永氏は、ブラジルでサッカーをプレイし続ける道を断念。日本に帰国することに。
帰国後、俺はいったい何をやっているんだと葛藤していた時期がありましたが、たまたま知り合いの芸能プロダクション関係者にオーディションを進められ、一発合格。俳優業としてのキャリアをスタートさせます。
時系列が少しあやふやでしたが、俳優としての活動に疑問を抱いていた(?)懐永氏は同時期にアウトローとして荒んだ時期を送っていたそうです。
そんな中、たまたまギターを手にしたとき、突然メロディーが思い浮かび、自分の進む道はこれしかないと確信したとのこと。
その才能は確かなものがあったようで、すぐに事務所からメジャーデビューのオファーを受けるも、それが当時流行していたヴィジュアル系への転身が条件だったようで、懐永氏は「俺はお前たちの人形じゃない」と一蹴。事務所を追い出されることになります。
その余りのロックな経歴に、視聴者、そして社長たちは理解が追い付かない様子でした。
番組出演時の活動
番組出演時点でのライブ活動などは特になし。
武道館への出演を行うのであれば、ファンや知名度の獲得が先決では?という社長たちの真っ当な意見がぶつけられます。
しかしながら、懐永氏は番組出演前に路上ライブを敢行し、その評判が最高であった事を根拠に武道館ライブの成功を確信していると回答しました。
仲間が協力して集めてくれたアンケートを社長達に手渡します。
動員目標
現時点では過去にプロダクションに所属はしていたものの素人である懐永氏、動員目標は?という社長達の質問に1万人と強気な回答を行います。
ライブの開催日はその年の8月8日を予定。時期として武道館を抑えられるスケジュールではないと説明を社長達から受けますが譲らず。
理由としてはその日は懐永氏の後輩の誕生日とのことでした。
後輩の誕生日がどう関係あるんだ?という社長達からの真っ当な質問に対し、懐永氏はその後輩がすでに亡くなられている事を明かします。恐らく、弔いの意味があってのことであったと推測できます。
武道館デビュー後の目標
懐永氏は武道館でのデビューの後はそのまま日本での活動に意味を見出しておらず、すぐさま渡英、ロックの本場で成功を収めた後はアメリカへ渡ることを伝えます。
もし武道館でのライブが叶わなければ
懐永氏は失敗を考えておらず、武道館でのライブが失敗した暁にはその時点で音楽を辞めると断言しました。
人間生きるか死ぬか、白か黒かしかない、また、それまで懐永氏は自動車関係の会社を経営していましたが、今回の挑戦にあたって潰してきたと伝えます。
後ろ盾があるような男では武道館に立つことなどできないという背水の陣で挑んでいたことが明らかになりました。

この辺りから、初めはとんでもないヤツが現れたという態度で険しい表情だった社長達の評価が好転し始めます。
社長の一人が希望の半分にあたる942万円の投資を表明しました。
演奏披露
その後、会場で懐永氏はアコースティックギターでのオリジナル曲を披露。
社長達の絶賛を受けるも、やはり歌手としての実績がないことに懸念を示されます。
どうやって観客を集めるんだ?、という社長達の疑問に「俺が動き出したら誰も止められない」というロックな回答をぶつけました。
いくつかの質疑の後、社長の一人から「生き方がブレている」という指摘を受けます。
ブラジルでサッカーを断念したり、ミュージシャンを目指したり、目標が定まっていないという意図であったと推測します。
嘘をついていた懐永氏
しかしながら、ブラジルでケガをしてサッカーを断念したというのは嘘であったと突然告白する懐永氏。
ケガをしたのは事実であるものの、本当の理由は高校時代に懐永氏を慕っていた友人のバイクでの事故死によるものだと言います。
友人の死は俺のせいだ、と良心の呵責に耐えられなくなった懐永氏はその事実から逃げるためにブラジルに向かったと述懐しました。
サッカーを断念した理由の話だったと思いますが、編集のせいかあまり整合性が感じられませんでした。
ついにマネー成立
しかしながら、懐永氏の人間性に心を打たれた社長達。
最終的には条件付きではあるもののとうとう残りの投資額を獲得します。
しかし、その条件についてはチケットを5000枚手売りで完売するという厳しいものでした。
その後の懐永氏
結果から言うと、チケットの手売り5000枚の壁は厚く、デビューは見送られる事となります。
しかしながら、インターネットもそれ程普及していない時代に700枚もの売り上げを達成。
その後、懐永氏は表舞台から姿を消しますが、音楽活動の傍ら、現在は清掃会社を営んでいるとの情報がありました。
おわりに
いかがでしたでしょうか。
番組史上最も魅力的な出演者の一人として、懐永氏は長きに渡り人々の記憶に焼き付いています。
正直、時代や状況が異なれば彼の望むロックスターとして成功を収めていてもおかしくないほどのポテンシャルを視聴者も感じていたと思いますが、残念ながらそれが実現することはありませんでした。
しかしながら、時は流れ懐永氏はその後、自伝の出版などを経て、2021年現在、あらたな音楽活動をスタートさせているという嬉しいニュースが飛び込みました。
CDの販売も行っているようなので、ご興味のある方は是非チェックしてみてください。
伝説と呼ばれた懐永氏の今後の活動に、注目したいと思います。
今回の記事はここまでとなります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
またお会いできる日まで。
コメント