皆様はMad Capsule Marketsというバンドをご存じだろうか。

1990年結成。インディーズでのリリースを経て、’91年、ビクターよりデビュー。’04年の「CiSTm K0nFLiqT…」まで11枚のアルバムをリリースし、最近作はいずれも全国チャート上位にランクインするヒットアルバムとなっている。ライブはつねに即完がつづき、海外アーティストとの共演や大型ロックフェスでのパフォーマンスなど、ライブへの定評はゆるぎない。また、「OSC-DIS」の欧米メジャーリリース以降は海外での活動もめざましく、これまで2度のヨーロッパツアーを成功させ、’02年の「OZZ FEST(メインステージ)」、’03年のKERRANG!フェス「GAME ON」など、 イギリスでの大型フェス出演も相次いでいる。国内外でスケールの大きな活動を展開する、日本を代表するアーティストである。
サンプリングやブレイクビートとバンドサウンドを融合したしたミクスチャーロックの代表的バンドとして、2000年代に特に絶大な人気を誇り、惜しまれつつも活動を休止した。
既にMad Capsule Marketsをご存知の方の多くは、活動のピークであったラップ+デジタル的な音楽性を想像されるかと思う。
しかしながら、実はこのバンド、活動の初期はゴリゴリにアナログなパンクバンドとして知られていた。
初期と後期でここまでイメージが変わるバンドも珍しいが、それだけならままよくある話である。
この初期Mad Capsule Marketsの特異な点は、その音楽性、センスがとんでもなくDQNかつ凶悪だった点、これに尽きる。
現役で活動中の頃から初期のパンク期、後期のミクスチャー期とそれぞれ異なるファン層を持っていたイメージがあるが、私は断然初期Madを支持していた覚えがある。
思い返せば、Mad中毒という、初期Madの情報に特化した個人Webサイトも存在していたが、残念ながら今となっては消滅してしまったようだ。
今回は、そんな初期Madの魅力を振り返りながら、在りし日の彼らの活動に思いを馳せたいと思う。
どうか、最後までお付き合いいただければ幸いである。
ちなみにここで言う初期Madとは、前身バンドの「Berrie」からメジャーデビューあたりまでを指すことにする。
・ビジュアルが凶悪だった。
初期MADの面々のイメージを伝えるにあたり、これらの画像をご覧いただくのが手っ取り早いだろう。




なんとも恐ろしい、凶悪な人相をしている(スミマセン)。
活動休止直前の、カジュアルなファッションに身を包んだ彼らの面影はここにはない。
バンドのイメージ展開といった思惑もあったかもしれないが、だとすれば十分にその成果は出ていると言えよう。
・そもそもDQNだった。
パンクバンドとして活動し、その反骨精神を体現するためには自然と態度、立ち居振る舞いもそれに倣っていくものである。
ここに、インディーズ時代のインタビュー音源が残されている。
名前の微妙なイントネーション(キョー↑ノ、ク↑レイ)、ラ行における巻き舌がそこはかとなくチンピラ感を漂わせ、受け応えの端々からもその素行の悪さを覗かせている。
他にも「みんな敵」、「群馬(笑)」、「よくあるつまんないバンドを観に来てるくだらない人たちはどうでもいいですけど~」などの発言から、彼らの不良ぶり、メディアに迎合しない姿勢が伺えるだろう。
ちなみに、ベースの上田剛士氏に至っては現在、Babymetalの楽曲を手掛ける等、日本を代表するプロデューサー、アーティストの一人であるが、初期の頃は「紅麗死異(クレイジー)剛市」という、暴走族のようなセンスの名前で活動を行っていた。
また、当時のライブ映像では当然のように客席で乱闘を行うKyono氏の姿が確認できる。
・過激な楽曲が多かった。
彼らの作品において、特に初期の2作に関してはその音楽性は元より、過激な歌詞、楽曲が多くを占めていた。
その中でも、特にリリースに差支えがあると判断したものには伏字やピー音が使用された経緯がある。
例:
(曲名)3秒間の××→3秒間の自殺
(曲名・歌詞)ハリネズミと××→ハリネズミとポリ
(歌詞)俺から見れば◯◯◯◯◯→俺から見れば精神◯常者
もっとも、話題性を狙ってあえて自主規制音を積極的に使用したという説も存在している。
また、同様に初期の代表曲、「ギチ」においては常軌を逸した人間を指す隠語をもじってつけられたとされている。
歌詞は曲名である「ギチ」を一貫して繰り返しており(途中からは解読不能)、そのセンスも秀逸と思わせるものがあった。
・世の中や、既存のアーティストを敵対視し、皮肉っていた。
インタビューの項でもその片鱗が見られたが、楽曲の歌詞や活動においても特にその傾向が顕著であった。
ちなみに、ファンクラブかCD販売のの特典として摩怒新聞(マッドしんぶん)というものが存在していた。


見出しから既に、とてつもないDQN感が伺えるだろう。
歌詞も当時流行していた歩行者天国を批判したものや、資本主義者、労働者、権力に対しての怒りに満ち溢れていた。
しかしながら、有り余る攻撃性はもとより、世を皮肉るシニカルさも兼ね備えていたのが彼らであった。
ちなみにこちらは初期の8cmCD。群衆の中に頭髪の薄い男性が映り込んでおり、◯で囲われ矢印で指されている。

・アートワークがグロかった。
まるで世の中の人間に不快感を与えるのが目的と言わんばかりのアートワーク、ビジュアルイメージを使用していた。


極めつけが、彼らの1stアルバムであり、メジャーデビュー作となる「P.O.P」である。

彼らの音楽性と全く似つかわしくない南国の島の写真と筆記体で表記された「P.O.P(ポップ)」というタイトル。
購入してケースを開くとジャケットの下に別のジャケットが存在していることが分かり、現れたのは人骨及び死体の山。

とどめと言わんばかりに元のジャケットの裏に刻まれている「こちらのジャケットはごみ箱にお捨て下さい。」の文字。
当時の私はその比類なきセンスに憧れ、虜になってしまった。
・おわりに
いかがであっただろうか。初期の彼らのラジカルさ、世界観が少しでもお伝えできていればと思う。
Mad Capsule Marketsの活動休止後はそれぞれメンバー個人での活動が行われており、はや15年近い歳月が過ぎようとしている。
国内のロックシーンを代表するバンドにまで登り詰めていたこともあり、未なお再結成を望む声が大きい。
しかしながら、その影で密かに初期Madの面影をしのび、懐かしむ者たちがいることを、どうか忘れないで欲しい。
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